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≪プロフィール≫

加藤はるか(かとうはるか)

 

仮歌シンガー、本歌・コーラスシンガー、シンガーソングライター、作詞家、作曲家。
1991年6月20日生まれ、宮城県仙台市出身。3姉妹の長女として生まれる。

 

幼稚園の頃から小学校5年生までピアノを習うが、あまりピアノ自体を好きになれず特に結果も残さず辞めてしまう。だが歌うことは好きで、当時やっていた少年野球チームのメンバーが野球しようと誘いに来た時に「今歌ってたよね」と言われるほどモーニング娘。さんの曲などを家で熱唱していた。

その後中学校1年生で「かっこいい」という漠然とした理由でエレキギターを購入。スピッツさんの「空も飛べるはず」をざっと弾けるようになって、エレキギターは押し入れ行きに。

その年の野外活動でのキャンプファイヤー、自分のクラスだけ出し物が当日まで決まらず、DREAMS COME TRUEさんの「晴れたらいいね」の替え歌を提案。バスの中でその替え歌を歌ったときにクラスメイトから「上手い」と言われ、人前で歌うことの楽しさに目覚める。

中学校3年生の時にYUIさんの映画「タイヨウのうた」を観て、絶対に「Good-bye days」を弾けるようになりたいと思いアコースティックギターを購入。いわゆるFコードを克服し、弾き語りで歌うことの楽しさを知る。

2007年、聖和学園高等学校に進学。

ソフトボール部の特待生として入学したもののどうしても音楽をやりたくて、部活の顧問に相談したところ「3か月でもいい、必ず未来につながるからやってみなさい」と言われ、本当に3か月のみ在籍。退部する際にはチームのメンバーの多くが涙を流してくれて、「絶対に音楽で結果を残そう」と強く決意。この決意が、絶対に音楽自体を辞めることはしないという自身のモチベーションになり続けている。

高校2年生で学校内のメンバーでバンドを結成し、ギターボーカルを務める。ドラムはスリップノット、ベースはラルクアンシエル、ギターはジュディマリ、私はYUIが好き、というバラバラな個性が集まったため、ライブハウスでの初ライブからオリジナル曲を演奏する。ギターが構成とコード進行、私がトップラインと歌詞という分担で30曲近く制作する。

TV朝日系「ストリートファイターズ Hジェネ祭り」で特集されるなど、精力的に活動。

その後それぞれの進路の違いにより解散し、ソロ活動へ転向。


2010年、仙台の某音楽専門学校に進学するも、シールドの巻き方+先生の自慢話で90分1コマが消耗する日々をもったいなく感じ、1か月で退学。

その後フリーターとしてアルバイトをしながらシンガーソングライターとしての活動を精力的に行う。2011年6月には、東日本大震災の影響を受けつつも自身の10代最後のワンマンライブを行い、111名を動員し大成功。同日自主制作でミニアルバムを発売し、その後手売りで400枚ほど売り上げる。そのミニアルバムから2曲・他1曲をTVCMに楽曲起用して頂く。


2015年、東京で音楽と向き合ってみたい気持ちと親離れしたい気持ちを抱いて上京。上京してすぐのタイミングでこのままシンガーソングライターとしての活動をしていくべきかを悩み、音楽以外で夢中になれる仕事も探しておこうと様々な仕事を経験する。

介護事務・IT・ゲーム・通信・一般事務・倉庫・イベント運営・コンサートスタッフ・不動産・人材等...。その末どれも面白さを見いだせず、自分は音楽以外には夢中になれないとある意味諦めがつく。そして歌をお仕事にする方法を探していたところ、仮歌シンガーという方法をみつけ2017年6月ころから開始。



2018年、全力☀ボーイズさんの楽曲に歌詞を2曲提供。仮歌のご依頼のみの生活に。

2019年、太鼓の達人に自身歌唱の楽曲が配信される。その他、SOUND VOLTEX VIVID WAVE 制作決定記念 オリジナル楽曲コンテスト 合格楽曲、ときのそらデビューアルバム『Dreaming!』 コーラス(M3 コトバカゼ, M6.IMAGE source, M7.ブレンドキャラバン, M13.好き、泣いちゃいそうだ)、ネスタリゾート神戸CM ふわふわ赤ちゃん篇

等、歌唱シーンの幅を広げている。

その後数々の歌唱実績を積み、現在仮歌は5000曲以上歌唱し、日々レコーディングを行っている。採用のご報告がない月がないほど、採用率も上がっている。

2023年1月より田辺望とのユニット「tobari」の楽曲配信や、音楽家の皆様と共に精力的に楽曲制作を進めて発表していく「Music playground with 加藤はるか」のプロジェクトも始動。

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